2007年04月08日 01:18
たくさんのきょうだいの中の一人・・・しかも女だったから。
昔は 中卒で働きに出ても当たり前の世界だった。
中学を卒業するまでは 故郷で暮していたわけだけど、
「子守」と称して親戚の赤ん坊を
真夏の一日、 自分の背中に背負ったまま遊びに出かけて、
子どもが熱中症になって危ないところだった・・・と
無邪気に語るような 罪のない笑顔の
邪気の人だった気がする。
昔では当たり前だろうが、
ずいぶんと早くから親元を離れているので
「親」としての態度や 子どもに対する接し方は
ことごとく持ち備えていなかった。
・・・そう考えると、 わたしの親の年代が
とても危ういものに感じる。
そして月日は流れ、父と出会い、わたしがおなかの中に宿った。
母の親戚は結婚に反対していた。
祖母の妹、 母にとっては叔母に当たる人が
父と同じ出身地の近くに嫁ぎ、
大変な苦労をして亡くなったという。
祖母は 亡くなった妹の配偶者どころか、
嫁いだ土地までも恨んでいた。
「病気をしているから、連れて帰ってくれ」 と
連絡があったときには
故郷を遠くはなれた 僻地で
手遅れの状態で床に臥していたというから、無理もない。
大切な子どもの一人を公害病で亡くし、
一人をため池に見失い、 今度は妹まで。。。
祖母は 母に似て 無邪気そうに見えるが、
とても頑なな人だった。
タイミングの悪いことに、父は伝染性の病気にかかり
長く療養所で過ごすことになった。
わたしが生まれる半年ほど前から・・。
わたしはたった一つ、気に入らない男の血を引いている
・・という以外は
母方の親族に受け入れられて 母の故郷で生まれ、
大切に育てられることになった。
父は 少しして回復したが、
姑(わたしにとっての祖母)に
いいところを見せようと商売をはじめ、 失敗した。
ほんの少し残った記憶の中には
父と移動販売車のバスに載って、
古くなった油のにおいや、コーヒーの匂いの中で
観光地を走っていたこと。
弟が生まれて
母は急にわたしをスパルタ教育と称して
年齢にそぐわないしつけを始めた。
ひとつ違いのいとこが
いわゆる「天才児」と周りにもてはやされていたから。
普通の知能の子どもに、母は無邪気に
読み書きや足し算引き算を教えた。
それがわたしが3歳すぎのこと。
・・・このことを 今 母に言うと
記憶回路がどうなっているのか
まったく覚えていないのだと笑う。
「まったく、余計なことばかり昔から覚えてるんだね」と
最後には怒り出すのだが、明らかにその言葉尻は
何かを覚えていて
知らないフリをしているようにしか見えない。
母は、教えるときに 必ず片手に何か持っていた。
ものさしだったり、はたきだったり、
菜ばしや なぜか火箸だったり。
それで問題が解けないわたしを こづきまわすのだ。
「ご飯を食べさせないよ!」 と
怖い顔をされたことも覚えているが
本当にご飯抜きだったかどうかは 覚えていない。
弟が少し大きくなると、 猫かわいがりにして
親子二人でわたしを攻撃することを始めた。
当時4〜5歳の弟に「ぐず、間抜け、バカ、歯抜け」 と
大の大人が教え込み、
二人でねちねちと執拗に言い続ける。
歯抜けになったのは わたしの虫歯のために
歯医者に通うのはお金がもったいないから、 と
通わせなかったためでもある。
小学生になったときに 検診で歯医者に歯の治療をきつく言われ、
初めて歯医者に通うことになったが、
一人で通っていたため医師の受けは非常に悪く、
治療のため抑えて無理やりすることで
強いストレスを感じて
わずか7歳で 何度も倒れるような(失神)羽目になった。
この失神体験が 後に
てんかんや脳腫瘍の誤診をされるきっかけになった。
母のスパルタ教育は
元になる伯母の家族と距離が離れてから 幾分軽減した。
けれど、 来客があったら隣の部屋でひと言もしゃべるな、や
外に出たら 迎えに行くとき面倒なので
外に遊びに出てはならない・・・ など
たくさんの家庭内憲法を作り上げては
母は わたしを家から出さないようにした。
また、一方では 弟を溺愛し、
弟が外に遊びに行くことに関しては黙認していた。
・・・それも3人目の 妹が誕生するまでのことである。
妹が 誕生すると、
弟は必然的に母から捨てられることになった。
なぜなら、母はより小さい生き物を好み
最初はわたし、 次に弟、 さらに今度生まれた妹に
・・・関心はいともたやすく移る人だったから。
弟の面倒は 妹の誕生と共にわたしが見ることになった。
2歳違いの弟が まだ5歳直前のこと。
・・・この頃の弟とわたしの記憶は失われている。
突然の出産に
母は近所の人にもわたしたち二人を託さず
母の出産後、急を聞いて母の妹が来たときには、
幼いわたしたちは
家の貯金箱を割って そのお金でお菓子やパンを買って
食べていたという。
それさえも覚えていない。
父はどうしていたのだろう?
いつも誰かの目を気にして
いいところを見せようと躍起になっていた父。
夜逃げして 故郷の地に帰ってきたはいいが
こりもせず 再び始めた商売に再三失敗。
長距離トラックの運転士として働くが、
子どもの成長も 無邪気すぎる母から 聞いたまま、
そのまましか信じなかったけれど。
母は いつも事実とほんの少しずれたことを言っていた。
「ずれ」を子どもの話から感じると、怒りで報いていた。
自分のことを信頼しきっていたのだろうか?
それとも 繰り返す人生の徒労を
子どもに当たっていたのだろうか・・・
・・・長くなってしまった。
母の話は まだ始まったばかりだけど今夜はこれまで。



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