パスを解きます。01:42 おやすみなさい、よい夢を。

2008年02月17日 21:59

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照らしあう光

2008年05月05日 10:48

Y'ブログをしばらく放置します。


2/15のコメントをきっかけにいろんなことを考えました。

1.対話する相手のすり替えをされたくありません。

2.自分なりの議論の基本において、議論にまで到った私信(鍵コメント・鍵付きゲストブック)の公開をためらいます。
  わたしはいわゆる「議論派」ではありません。対話を望むだけです。そして徹底した対話を望むとき、私信の公開も一理あるかと思います。
  けれど『鍵』には相手のデリケートな心の部分が含まれていると思います。
  心がある限り、どんな内容でもわたしは私信を私信のまま受け入れたい。
  「私信」とは第三者に公開されない対話を意味します。
  
  対話が破棄されるときは私信の公開も辞しませんが、むしろ議論や対話でなく抗議の意味で出します。その際はコメント・トラックバックを拒否します。

3.一方的なコミュニケーションの終了を受け入れられませんでした。
  私信であれ公開であれ、ブログをコミュニケーションの場としても考えるわたしは、問われたことに出来うるかぎり応えます。
  問われて「ご理解できましたか?」と返しても対話を切り上げる旨だけ返されるのは、かなり辛い。
  自分サイドに書き手としての重大な手落ちがあるのでは?と煩悶を繰り返します。
  相手の表現の自由を大切にしたいと思います。逆に、わたしの言葉を問われ、解いて返すときにひと言でいい、「わかりました」か「わかりません」がほしかった。
  本当はとても悲しい。大切に心をこめて書いた私信であればあるほどに。
  粘着質ですか、わたし



4.読み手の誤読は書き手の技術の未熟さ、と恥じます。何度書いても誤読されることに自分の文章表現の異端/コミュニケーションの欠如を感じました。


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わたしはツタ

2008年05月10日 12:36

WEBからころしてしまう、わたしはそのひとのツタなのです。

おたがいを いかしあえることができなかった。

じぶんのいのちひとつで そのひとのいのちが とりもどせますか?



コノソンゲン

2008年05月17日 12:47

心ならずも 病を得てしまったひとはかなしい。
心ならずも 肉体やたましいを虐げられたひとはかなしい。

だから 時々 暴れだす炎のような命の叫びを
ひとに押し当ててじぶんが生きていることを確かめる
そんな
ものぐるおしいひとときを 赦してくださいかみさま。

炎に焼かれて血をながすひとがいたとしても
たましいのおくそこは
狂気にむせぶわたしの心を見据え そして赦し
ほんとうの心だけが わたしとひとのあいだに流れますように。
たんぽぽ飛んだ
心ならずも人を傷つけるが、傷つけたくて傷つけるわけじゃない。



WEBは基本、言葉しか表現の翼を持たないので、傷ついたひとのすべてを表すためには不便だと思う。言葉で表せない仕草、目線、声のかすれ、すべてを使ってもリアルの世界では傷ついたひとを理解してもらえず、差別されることのほうが多い。

心ならずも病む、心ならずも犯される、心ならずも暴力に屈する。それらのことで傷ついても、傷ついた人たちは『傷ついたマジョリティ』として自分たちを一色に混ぜ合わせることが出来ない。

『幸福な家庭は一様だが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である』  トルストイ


個の尊厳を手繰れば、心を寄せ合い理解したいと心のどこかで叫びながらも、一つになれず幸福な家庭の灯りの数に自分がマイノリティだということを確かめるわたしがいる。それぞれに一様でないかなしみ。

個の尊厳を守るとは自分がひとりであることに付き合うことだと思う。

幸福に見える家庭にもかなしみはあるだろう。人並みにふるまうことがしあわせだと教えられてきた人たちは多いはずだ。

鏡のように立ち上がる仕合わせとふし合わせ。本当にしあわせな人間って、どこにいるのかな。ひとりを尊び、集には滑らかに混じる完全なたましい。

書きたいことを書きたいままに

2008年07月15日 22:14

思うことを思うままに。書きたいことを書きたいままに、そうやってブログをやってみたい。
まるでアホのような言い草だ、小学生並みだ。小学生もこんなのと比べられるのは迷惑だろう。けれど一つ覚えのように思う。書きたいことを書いていたい。

わかってるさ、読み手に思いやりを持てってこと。書き手のわたしに余裕があればそうしたいさ。そうすべきさ。それがオトナのルールってもんだ、ネットマナーってものなのでしょう。そうだそうだ。
『わたしの書くことは読み手にとって毒になる、だから注意書きをしなさい、うっかりリンクを踏んでフラッシュバックしないように、PTSDにならないように、傷つかないように』
――わかってる、わたしの言葉は毒だ。

わかってるさ。
余裕がないときでも対応できるように案内のリンクも貼った、注意書きもした。それでも足りないなら……そうだな、パスワード制にしよう。もう読み手はこれ以上増やさない。これが一番現実的。
限定公開を提案します!それで満足?十分?
究極は、だれもわたしのブログを閲覧できなければ、誰も傷つかずに済む……コレだな。うん。誰にもパスは教えない。独り言のオフライン状態ならばいいんだ。満足してもらえるよね?傷ついた人には、そしてこれから先傷つくであろう人には。
満足だよね?読めないなら、WEBと断絶するなら、誰も癇に障らないよね?
読めないんだもの、訪れる必要はなくなる。呪縛から解放され、解放する。
――このあたりで満足してください、頼みます。

思うままに書きたい。時にはワガママに書きたい。

ああ、そうだ。こんな風にだらだらと書いてるのは十分ワガママだ。きっとまた眉をひそめて嫌がられるのだろう。
わかったフリするな、見えたようなこというなといわれるのだろう。
主観だよ主観。思っただけ。
思ったことを書くと嫌がられるのはわたしの仕様だ、わたしの悪いところだ、汚くて厭らしいずるい部分だ。思いやる心を忘れたくなければ、書く言葉を選べ、話の中身を選べ。人の考えを見抜くようなことは書いてはいけない、それは違うことだから。
あなたとわたしは違うのだ、当たり前か。当たり前なら尊厳を持つイキモノらしく境界を見極めろ。書く言葉はわたしのただの妄想だ。妄想は書いてはいけない。
わたしは思ったことは書いてはいけない。思ったことを垂れ流しながら書いてるお前はヒト以外の毒だ。
ねえ、わたしの一番イタイ部分を知っていますか?

わたしが一番触れられて嫌な部分は”愛情”です。

小さいときから栄養の次に欠乏していたのは愛情で。どんなことより望んでいたのも愛情だった。
教えられてもいないのに乳飲み子が母の乳房を求めるように、わたしは人の愛情を希求していた。
希なる望みと書いて「希求」。母は自分が子どもだったからうまくわたしを育てられなかった。父は祖父から我が子と認めてもらうことに必死で、世間から自分を認めてもらうことに必死だった。子どもは二の次だった。
子どものわたしが父に寄せる愛情には、自分が愛されているかどうか束縛して試した。時には暴力で試した。こんな父でもお前はわたしを愛しているのか、と。
子ども時代のわたしは親から捨てられたくなくて必死だった。父からも、気まぐれな母からも。

そんなこんな、いろんなことがあっても、わたしが一番欲しいのは人からの愛情で。けれど、欲しいものはいつでも遠いところにあった。そればかりか愛情と裏腹な思い出ばかりが増えて、わたしは求めながらも触れられると硬直するほど緊張するようになったのさ。愛情ってものにね。

――で。わたしは悪魔だから気にしないで書くさ。
どうして思うままに書けなくなったか。人への思いやりなんかじゃない。つまるは自分のエゴだ。

きっとそれは今子育てが順調でいいお子さんに成長なされているからなのだと思いますよ。


自分の子育てが正しいと思う親ほど思い通りにならなくなったとき悩みが大きくなります。


いつ子育てが順調だなんて書いた?自分の子育てが正しいなんて上から目線で書いた?いつ?
幸せそうに書くよ、日々の出来事、ましてや愛してるもののことって普通にふつ〜に平凡に書きたいよ。
たくさん幸せじゃなくても針穴から空を見るように、ささやかな幸せをありのままに希望を持ちながら書きたいんだ。
『子育てが順調…』に係る文章と子育てとどこが繋がってるんだ?

書くよ、わたしは悪魔だからあなたの心中など読みもしないで書く。
子育ては順調なんかじゃない、病気や人間関係に苦しみながら這いずり回っている。家庭の愛情は満ち満ちてなどいない。家庭のなかに傷が入っていてもそれはまだ修復されていない。
何一つ順調でない、わたしの希求する家庭に、愛情に、どうして『順調』だと決めつけてかかるんだ?

順調だから、傷つきか弱い人のことなど思い馳せることもしない。傲慢な正義感の言葉で人を誘導しているとでも?他人にものを言うだけでわたしは思い上がっている?(そんな立派な人間じゃない?)反発する相手を子育てとなぞらえて、わたしの思い通りにはいかないとでも諭したかった?
人の尊厳を踏みにじっているのはわたし以外の何者でもないとでも?

そうさ。今、あなたのことを踏みにじる。こういうわたしこそ虚しく厭味で疎むべき存在だろう。嗤うがいい。嗤う体力がなければそこらへんで吐いて倒れてりゃいい。
わたしの尊厳などない。あったらわたしという惨めな存在はなかった。存在していたら神に「あ、間違った」って抹消されるだろう。尊厳を大事にする神ならきっとそうするだろう。
尊厳なんてくそくらえだ。神がいてもいなくても同じだ。
わたしはあなたを思いやらない。非情な人間だ。

わたしが大事にしていたのは人を思う愛情。わたしを必要としてくれる家庭、家族。必要と言って欲しい家族。
それを、うまく機能してないそれを『順調』だと触れて欲しくなかった。子どものことは争いの場に出して欲しくなかった。とても嫌だった。読んだ瞬間息が止まった。
知りもしないで、と怒りと悲しみがこみ上げた。あなたはわたしの触れたら血を流す部分に触れてしまった。
その上、書きたくてもかけない事はある。書きたくても言葉が浮かばなかった。ぐるぐると気持ちが渦を巻いて心の中で氷と炎になっていた。

あなたは周りの人から愛されてる。たとえば争うもの同士があなたを聖別するように用心深く避けた。
あなたは聖域だ、愛されるべき尊い人だ。だからあなたを巻き込んで争えずにいる。あなたは大切にされている。
勝手に決め付けるな、とまた怒られるんだろうな。けれど覚えておいて。
あなたが「二人で向き合っているからいいではないか」といったのは無知だ。わたしと第三者とあなたの存在は切り離せないことを、覚えておいて。路上でわたし達は言い合っているのだ。

思うよ。
もしまた争いが再燃したらと思うと死にたくなる。書かなければいいのに。それが一番だと思うのに。
でも書かずにいられない、書いてみたいと思う。
いつでも争いが書きたいんじゃない。
ありふれた日常が書きたいだけ。ただそれだけなのに。なぜわたしの痛みに触れたんだ。
書こうとするとまた(子育てが順調だから)と耳の奥で聞こえないはずの声がしてパニックになる。
順調じゃない、毎日大変だと自分で自分を打ち消して、自分の現実世界の家庭の苦しさを思い知らされる。何度も。

幸せな側からの傲慢な諫言だと思われたくなかった。
幸せではなかったし、仮に幸せだったとしても、人に強制させるような言葉は使わなかった。自分の正義を押し付ける目論見もなかった。
……仮に、幸せな人間は人に注意もできないのか?傷み苦しむ人に万事同調しないとその資格もないのか?

自分を化け物でもなんにでもたとえるのがわたしの自由なら、わたしを解放して欲しい。
わたしはわたしから解放されたい。あなたからではない。あなたを思って凍り付いてしまう自身から。

声を掛けないで欲しい、コメントしないで欲しい、読まないで欲しい。
莫迦みたいに身悶えながら思う。書きたいことを書きたい、自分の場所で、人に惑わされず。
別の場所で書けばいいさ、と心の中で別のわたしが思う。天使のような思いやりを持つキャラだ。
別の場所もいいのかもしれない。けれどね。どうしてわたしはこの場を開いたんだろうと思う。
思うたび胸が焼ける。執着というのはたぶんこういうものだ。
焼けた胸は黒くて汚い。わたしの書くことはエゴだ。所詮エゴにしか過ぎない。

書きたいことを思うままに書けたとして。
その中身はホントに地味な暮らしの水泡みたいなものだろう。どこまで固執するのかな、わたし。
ぼーっと傍観する天使でも悪魔でもない、一番たちの悪いわたしが心を膠着させる。

怖い。
これを公開するとまたコメントが来ることが怖い。読まれるのが怖い。足跡がついているのが怖い。
どこで書いてもまた嫌な思いをさせて読まれるのだろうと思うと、自分の言葉は本当に汚いと思う。
汚いけれど、書かなくちゃいたたまれなくなる。また自分を刻みたくなる。
どうしたらいいんだろう。

天使みたいな言葉が使えるような人になりたい。
天使はいないし、神なんていない。――悪魔はいないだろうか?天使がいないように。

争いたくなどなかった、やっとみつけた人だったから。争いたくなかった。でも争わない自分を受け入れられなかった。争いたくなかった。傷つけあっていても傷ついていると口に出したくなかった。

2008年10月03日 04:07

ただ、触れてほしいと思っただけだ。
あなたがわたしの血にまみれてもいいと思った。
汚れてほしくないと思っているのにね。

わたしの怒りや悲しみを見て。
のた打ち回る醜態を眉をひそめて見て。
けれど立ち去らないでほしいと思う。
背中を向ければ爪を立てよう。

この感情がなにかわからない。
ただ、触れてほしいと思ったんだ。
わたしが、目に見えて触れられるものだと、証明してほしい。

その前にキスがほしかったんだ。
小さいものへの情みたいに。荒れた髪を撫でて。
泣き顔に触れて。