イラクサの帷子を編みながら、思うこと

2008年03月29日 18:51

イラクサのコメント欄で
>東洋的には股間にその「まなざし」があったものが西洋的な胸に移ることは、男性の性的願望が社会化されているから、という意見は興味深く感じました。たしかに社会の変遷により対象が変わっているようです。

……と発言した自分の根拠(もしくはソース)がどこにあるか探しておりましてw。
昔読んだ「後宮小説」酒見賢一 のなかにあったのを見つけて。
以下引用 ▼


 昔、東洋文化圏では女は裸のところに闖入者があった場合、必ずといっていいほど乳房を隠さずに、下を隠した。理由はともかくそうした。西洋文化圏では絵画や彫刻を見ると分かるが、乳房を守るように隠す例が多い。これは理由になるかどうかは知らないが、昔の東洋文化圏の風流本はほとんど下半身、性器と足に集中している観があり、乳房について述べているものを見たことがない。風流本に限らず、後宮「女大学」も乳房に対する技法をおそろしく軽視している。逆に西洋文化圏の猥褻本では乳房を重要視し、くどいほどにその描写が続いている。比較文化学の先生は、宗教の考え方の違いからきているものだと言う。
 第二次大戦以後、西洋文化が東洋文化を多い尽くした感がある。よって乳房に対する感覚も非常に西洋文化的になったと思われる。今の若い娘は素っ裸のところに闖入者が現れた場合、どこを隠すのか。どうでもいいような疑問ではあるが、実はこれが東洋文化と西洋文化の定着度のバロメーターになるのである。
              〜前夜の絵巻より  「後宮小説」 酒見賢一


引用ここまで ▲

たかが小説、科学的な根拠ではない表現の世界のことか!…と 言う人がこのブログを読む人のなかにいるのかな?わたしは、この引用の部分が自分の中に組み込まれてるんだけどな。
モノカキの描く世界を、自分の考えのよって立つ標にするのは危ういことかしら?
「モノカキの探究心や多彩な知識を侮るなよ〜」って吼えるのは、かなり話からずれてるんだけども、さっ。

まあ、自分が見つけたいものを見つけて嬉しかった、というお話です。
そうそう、「後宮小説」や自分のコメント、ヒトサマのコメントを読みながら考えたのですが。
快楽を与え合う快楽。これがセックスなら
所有する快楽。 これってサディズムですかね。相手を暴力などで抑圧し支配下に置くこと。征服感。
オレのもの、わたしのもの。
快楽が強要するさらなる快楽。奪いむさぼるもの。



う〜ん、まだ書けない。ごちゃごちゃしてる。

あおいとりトリコトリコとことりなく、こりもしないでことり恋乞う

2008年04月15日 04:24

わたしは自業自得と他人を指して言わない、だろうけれど
わたしの血を継ぐものに「自分の身は自分で守りなさい」と戒めていくのだろう。
他人に対してより、もっと強く自分の血に近いものに心を込め教えるのだろう。
悲しみに出会わないために。

わたしはエゴイストだ。

他人と、血のつながりを持つ(他人と同様、わたしと違う肉体と精神を持つ)者とを、どんな一線を引いて分け違えるのか?……とかに思いをはせる。
たぶんそれは生存のために。
自分の血を受け継ぐものが命を永らえ、さらに次世代へと同じ血を受け継いでいくために。

このボンヤリとした思いはDNAに刷り込まれたものかもしれなくて。
(そうだ、遺伝子に組み込まれているんだ、これは生存のための本能なのだ)、と思い込みたい自分がいて。
万華鏡の中を覗くように自分が幾つも見える。それを見ているわたしを感じる。



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carpe diem

2008年04月20日 01:54

carpe diem  カルペ・ディエム ラテン語。 英語で言うなら seize tha day

明日に信を置かず、今日この日を摘むのがよい という訳がつく。

試訳

神々がどんな死を僕や君にお与えになるのか、レウコノエ、そんなことを尋ねてはいけない。
それを知ることは、神の道に背くことだから。
君はまた、バビュロンの数占いにも手を出してはいけない。
死がどのようなものであれ、それを進んで受け入れる方がどんなにかいいだろう。
仮にユピテル様が、これから僕らに何度も冬を迎えさせてくれるにせよ、
或いは逆に、立ちはだかる岩によってテュッレニア海を疲弊させている今年の冬が最後の冬になるにせよ。
だから君には賢明であってほしい。酒を漉(こ)し、短い人生の中で遠大な希望を抱くことは慎もう。
なぜなら、僕らがこんなおしゃべりをしている間にも、意地悪な「時」は足早に逃げていってしまうのだから。
今日一日の花を摘みとることだ。
明日が来るなんて、ちっともあてにはできないのだから。
                               カルペ・ディエム


わたしは今日一日の花を摘み取ることしか出来ない。その日一日を細々と燃やしていくように生きている。
明日に信を置ける日が来るのか?誰を愛し続けられるのか?
そして、希望は吾が身にあるのか?時折襲う懐疑心にうつむき、歩く。

ため息も呼吸(いき)のひとつと片笑みつ、巧く死ぬとはよく居切ること
Mors certa, hora incerta.
我々が死ぬことは確かだけれど いつ死ぬのかはだれにもわからない

生きるかぎり希望をもつことができる
――そう教えてくれた人がかざす、はるか遠くの灯りを目指して今日を生きる。









with baby, without baby.

2008年05月17日 11:45

とりとめなく書いたので当初は限定公開してました。
もうちょっと気分軽めに公開してみますが、さて。
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