夢ゆめ迷うことなかれ

2007年04月08日 01:33

たくさんの感情が錯綜すると、 
自分のコントロールが効かなくなる。


小さい頃は、その理由が まったく不明のまま
人前で何度も気を失って倒れたり、あるいは失禁したり、
あるいは ただ隣にいるのに、気配がなくなってしまったり。
わたしは虚弱の名を持つものだった。
不明のままでよかった。

6歳くらいのころだろうか?季節は忘れてしまったが、
他人に対する憎悪を 初めて覚えた。

この世に神様はいない。

見たことのない神様と、目の前にした初老の男のなす行為に
わたしは 絶望していた。
近寄ってくる近所の男。
しゃがみこんで砂遊びをしているわたしは そのあと 
子どもの世界ではないものを見た。
・・・イヤ、体験したんだ(笑)

男が何をしているのか、わからなかった。
幼かったから。
声をあげ、 逃げればよかったのに。
今でも 思い出せば喉が渇き 今でも同じことを思う。
なんで にげられないの?

近づいてくる男の感情を そして表情を今でも忘れられない。

成長して、 その行為が何かを知ると
わたしは考えるのをやめた。
やめることしか思いつかなかったが、反動はすぐにきた。


「わたしは9歳になったら死ぬ」  
「マッチで火がつけられるようになったら、死のう」
 死への 理由のない憧れが長く続いた。


自ラヲ殺ス・・・・ 。  

また、 これとは別に
成長につれ、自分が 
周りの人と違う風景や出来事を視ていることもわかってきた。
隠さなければ、 生きていけないと思った。
死を望みながら、「生きていけない」 と自分を隠す・・。
矛盾し、いくつにも分かれる感情。


たくさんの日記や 手紙や 写真を焼き捨てたこともある。

消えたい。    でも、  生まれ変わりたい。
できることなら、  できるものなら。
何も見えなくなりたい。 聞こえなくなりたい。



「時間が戻せるなら、いつのころに戻る?」


他愛のない 誰かの質問に  5〜6歳といいかけては
質問をした人を嫌いになり、 
時間が止まったままの自分を嫌った。
それでも、わたしは死ぬ勇気もなく、生きることを選んだ。
時々、 見知らぬ死者を視るようになっても
だれにも伝えられなかった。


異端だと   汚れていると  正気ではないと
夢をみているのだ、と
言われたくなかった。


あたらしい器に酒をつぐ。
そんな気持ちで この話を始めた。
あたらしい・・・と思っていたけれど
酒が古ければ、 苦い味ばかりで(笑)   
酔うことも出来ない。

自らを殺してみる思い出

2007年04月08日 01:40

この世に生きている人の中で 
自死を考えずに生涯を終える人はいるんだろうか?

わたしが死のうと最初に考えたのは幼稚園のころ。
  (まぁ、おませちゃんなのね)
理由はここで書くのもなんなんだけど、ま、簡単に言うと
近所のおじさんに今でいう性的虐待を受けたからだ。  
終わり。

そのときはただ、死にたいと思うだけで、
「死」についての憧れというものは そのあと暫く続いた。
夏の砂浜に行くと 足元がぐいぐい波にさらわれていくけど、
足元だけでなく命まで持っていかれそうな 
不思議な牽引力があって。 砂浜に行っては強く死を望んだ。
親は私が海好きの子だと思っていただろう。  
海辺で飽きることもなく、波に足をつけていたから。

実際に死のうと一歩踏み出したのは9歳のとき。

父から殴られて家を出た後、
そのころ世界の果てだった小学校の 
まだ向こうの川に身を投げようと
夕暮れの道をどんどん歩いていた。   
結局母親に追いつかれて終わり。。。

足にやけどを負ってから火が怖くなって、 
「火がつけられるようになったら死のう」  
それが幼い頃の「死」への誓いになった。
マッチで火がつけられる年になっても 
まだわたしは現実に死のうとは思わなかった。

次に波が来たのは 高2のとき。

孤独だった。  誰がいても。
なぜか校舎の屋上から飛び降りることを思いつき、
遺書も書かず、朝早く起きると 
普段より一本早い電車に乗って高校に急いだ。
朝練の部活動員しかいない学校の3階に上がると、
空は青かった。
前の日降った雨で地面は黒く湿って、
ここから飛び降りたらずいぶん汚れるんだろうな・・とか思って。
今ここで飛び降りるやつがいても、
朝は来て 昼は来て 生徒が通り、先生も過ぎていく。
気がつかれないかもしれない、そう思ったとき、悲しかった。
気づかれないまま死ぬのなら 
学校のそばを流れる川に入ってもいいや・・とも思い直して。
その川は、小学校のとき入ろうと思った川の上流。  
・・・皮肉みたいで。

        ふと、中島みゆきが聞こえた気がした。

当時 私は中島みゆきのファンで 
(死んだらみゆきの新しい歌聞けなくなるな)とためらった。
仕方なしに もしものとき死ねなかったら、と
用意したかみそりで手を切った。
恐怖で血は出ない。  
古代ローマの残虐王も 
妻を自殺に見せかけて殺そうとしたとき手首、足首を切った。
でも、妻は恐怖で出血が少なかったから、
わざわざサウナに入れて出血させたんだっけ。
二度、三度と手首を引っかいて血が流れるとほっとした。
(これでは死ねない)  
結構冷静(?)なわたしはこのとき教室に戻った。
誰かにナイフを借りるために。
結局・・教室に戻って みんなに捕まって 
羽交い絞めにされたけど
あの時6人がかりでもわたしを抑えられなかった・・・と
後で言われた。
死にたいのを止められて悲しかったんだ。きっと。

もう 覚えていない。

具体的に死のうと踏み込んだのはそれきりで 
あとは鎮痛剤を大量に飲むとか それくらい。
(こんなのを知人に知られたら、
 即精神科を勧められるだろ、きっと。)
でも、若かりしころの思い出さ。
もう十分 年を取ったので今さら自分で死を選ぶ必要もない。
いまだに不思議なのは 死ぬきっかけ・・というか
これといった理由も今は思い出せないほど 
わたしは死に飢えていた。

記事にすれば 思い出せるかも、その理由を と思ったけど。
今夜も思い出せない。

井戸の底から取り出した話

2007年04月08日 01:59

手首に引っかき傷ができましたのよ。  
仕事でできた いつの傷かわかりませんけどね。
それを見てたら ひょい、 と 
中学生の頃  カッターで手首を切ったときのこと 
思い出しましたん。
リスカ とか 最近言われてますよね。
ワタシの知る『リスカ』は 
駄菓子屋さんのリスカですけど。(←閑話休題^_^;)

中学生の頃、 男子生徒からのいじめにドッカーンと暗くなり、
先生から見放されて暗くなり、  
当時住んでいた家が小さい、と友達に言われて落ち込み、
親から 
「お前が『家が小さい』といわれて友達を追い返した」と聞き
 (親は)ショックだった」
「・・そういうわけで、 お前たちのために家を買ったから 
 引っ越すぞ!!」

・・・と宣言され、  転校。
ワタシのために 買った家のために、 
父は会社で必死に働こうとあがき、左遷され
買った家のために縛られて、とても変則的な勤務を
それから何年もこなした。

ワタシといえば、 タダでさえ少なかった友達がいなくなり
古傷のような『死にたい願望』を抑えることができなくなり。

そして、 ある日 カッターでちょっと切ってみましたのよ。
自分でも 切った後にびっくりしましたが
傷口はとても浅いのに、スーッと刃を滑らせたせいか 
線に沿って血が出てきて。
どうやってこの場をごまかそう(学校内でやりましたので)
家に帰ってばれたら なんて言おう・・・・  と
本来の意味や  ストレス(?)を忘れて
証拠隠滅に考えをめぐらし、考え付いたのが・・・



★  傷の周りに傷を描いて 
『手首斬って、血が出てます〜〜〜』風にする。 ★
       ↑
このような 中学生の浅知恵にたどり着いたのです。
ボールペンの赤、 黒、  鉛筆を使って
グロイ入れ墨のような 手首リストカット風いたずら書きを
一生懸命 描きました。
・・・・ホント、   わたし、 
その頃から筋金入りの馬鹿だったんです。。。。
結局、 当時は勉強そっちのけで絵を描いていた経験もあり、
とても上手に リスカの絵を手首の傷の上から描いて 
教師からぎょっとされましたが、上手にごまかし。。。。

・・・・まるで『雪舟の涙のネズミ』だ (笑)

傷は しばらく痛みましたが、 
しばらく消えなかった「傑作」のせいで
変わり者 というか 笑い話というか 
ナニをそんなに 悩んでたのか忘れるくらい。
自分を ごまかして 忘れることができました。^^
まぁ、その後も
また同じことをやらかしてしまったんですけど。

ヒトアシ、ススメ。
死にたくなるような 辛いときに 
そんな声が聞こえてきそうな気がして。
でも、
辛いことからなんとか逃げたい、 
外に出たい と思うときにも
同じ声がしてる気がして。
明日のないビルの屋上より
明日のありそうな未来へ 
おっくうだけど この足は進まないけど、 
ヒトアシ、進ンデミル。
・・・

二度目に 自分を殺そうとしたときそう思ったな・・ 
それも ひょいと思い出しましたんよ。。  
もう年なのかなぁ 

ソコデ燃エテイル炎

2007年05月01日 18:34

高校の部活動の顧問は、国語を教えてくれる女教師だった。
彼女は膠原病で、足の不自由な体にもかかわらず
階段をヒトアシ、ヒトアシ、杖を使い教室に来た。
牛乳瓶の底のようなメガネをしていて、ベリーショートの髪、
風貌から見れば・・・同じ年代の教師から外れていた気もする。

でもわたしの出身校は、
世間から外れ気味の教師がたどり着くらしく(苦笑)
某組合闘争で揉めまくったお人、とか
アルコール中毒で授業中、
元素記号を書く手が小刻みに震える幻視系化学教師、とか
某美術展に無鑑査の本物の絵描きなのに
何でこんなところに・・・?の美術教師、とか
体罰で・・・、とか
女生徒とウフフ、とか・・・

まぁ、これだけの種類のパターンが存在したら、
社会に出て『人間』でカルチャーショックは受けないよな
・・・みたいな
そんななかの、病気と闘う系の教師のお一人だった。

彼女はいつも教壇では毅然としていたが
ある授業中、いきなり横に椅子ごとズドンとひっくり返った。
(長時間立てない彼女は、本を読む間は椅子に座っていた)

虫が風を受けてひっくり返り、ジタバタしているような姿。
生徒は驚いて立ち上がった。
どうしていいのかわからず固まる空気。
彼女はゆっくり顔だけを起こした。
「せ、先生!先生を呼んできますぅ!」
誰かが横で声を出す。
いっせいに何人かが扉の方向に体を向け、また固まる。
(え?誰がいくの?あんた?え?)
緊急の場合、誰もが人に頼りがちで
自分よりもっと知識のある、
行動力のある人に頼りたいに決まってる。
ソレが如実に出た。 誰も動けない。

「おい、誰か起こしてやれよ」
息がうまくできなくてかすれた声がする。
わたしといえば、
いつものように授業中の絵描きに夢中で
乾いていないスケッチブックを人目から隠すことに集中しており。
「先生、ダイジョウブデスカ?」
ようやく緊縛から解けたように一人が教壇に歩み寄る。
「センセイ」 
「センセイ、保健室ニ連レテ行カナイト」
こわばった声が次第に教室の温度を上げる。
緊急事態。 17歳たちは慣れていなかった。

先生は、というと。

青いというより白くなった顔をゆっくりもたげると
「誰も、呼ばなくてけっこうです」
そういって5分くらい・・・もしかしたら10分かもしれない、
とても長い時間をかけてその場に座り込んだ。
その間生徒は声をあげるだけで
歩み寄る生徒はいたが、先生から立ち上る
わけのわからない空気のような、炎のようなものに怯え
動けないで居た。
複数の生徒が感じていたのだ、
立ち上る陽炎のような圧迫感を。

それが、わたしが人から立ち上がる『炎』を見た最初だ。



あれはナンだったんだろう?
今でも時々思い出すけれど
当時その女教師が取り立てて
国語に熱い情熱を燃やしていたようにも思えず
(苦笑)
けれどそのカラダを起こしたときの姿は
何かを一心に思うエネルギーの表れのようで。
たまに、・・・ごくたまに会う高校の同級生との会話の中で
その女教師のあの姿は
誰の記憶にも残っているらしいと知った。。

成人して高校にもOB面して行くことがなくなったある日、
彼女の訃報を聞いた。
卒業まで名前も知らなかった後輩が
どういうわけか、わざわざわたしを卒業生と認め、
教えてくれた話。

「先生は倒れても助けを呼ばなかったんです。
 自分で立ち上がられて・・・
 ええ。先輩の話と違うんですが、わたしたちの年度でも
 倒れているんです。 ええ。
 具合がかなり悪かったのだ と
 亡くなってから聞きました」

わたしは後輩の勤めるケーキ屋の店先で
声も立てず泣いた。
顧問の死を東京に住む部活仲間に伝え、
同郷の仲間にも・・・と思いながら
音信をつなぐことができずに今日に至っている。

17歳の頃は死ぬことばかり考えていた。
その目の前で燃えていたあの炎は
イノチだったんだろうか? と 思いながら。
軽々しく言葉を出し示す自分に
尻軽め! 安易なヤツ と舌打ちしている。

年を経て亡くなった女教師の年齢を超え、
再び炎らしきものを見て、
さんざんお世話になったはずの彼女と
学校の話以外、何の会話もなかったことに気づいた。
死んだ人と会話をするのは得意ではないが、
あの炎や 夢見ていたものを
夢枕にでも聞かせて欲しいと 密かに思っている。














Did you lose it? Or found it?

2008年12月08日 21:02

八月八日 雷雨
[病院にて]
 産婦人科の自動ドアが開くと、受付を挟んで左右に来訪者は分かれる。

 左は産科、白いレースのカーテン。大きく採ったガラス窓からいつも陽射しがこぼれ、原色の小さなぬいぐるみが細細と長椅子の合間に転がる。待合の合間に読む雑誌は育児雑誌の数々。
 ハト時計がひとつ、ベビーベッドがひとつ、粉ミルクの会社の販促用らしいカレンダーがふたつ。

 右は婦人科、ラベンダー色の御簾を気取ったデザインカーテン。一日に数度、職員が待合所の明るさを調整しに来る。薄暗い黄昏色に保つため。
 ここに長椅子はなくて。窓に向ってポツリポツリと一人掛け用のチェアが並んでいる。
 必然とラベンダー色のカーテンに向き合う来訪者。遠くに赤ん坊の声を聞きながら、場違いなガーデニング雑誌を手にとり、読むでもなくボンヤリ過ごす。

 わたしが今日、足を運んだのは右のほう。

 覚悟はしていたんだけれど。やはり現実を口にされるとショックというか。
「全嫡でいきましょう。」 
「二、三年なんて待てないよ」 
「まだ若いから」
「まずこの強度の貧血を治療しないと手術は……」

 矢継ぎ早に言われても、外の雷雨が気になる。診察室の絨毯は深くて、サンダルのわたしは軽くよろける。
 内診され、圧迫された腹部がじくじくと痛い。

 ……いたいよう。

[闘病ということ]
 わたしの場合、闘病と言うのに当たるのだろうかと考えつつ答えが出せない。

 病気と闘って負ける、その延長が更なる病の苦しみ。そしてその先の死。
 病気と闘って勝つ。その延長に生きていく苦しみ、老いていく雑多なあれこれ。
 ……で、やはり避けられない死。

 人は必ず死ぬ。
 当たり前のことだけど、人は、逃げたがる。逃げたがるのはわたしだけかも知れない。今深く考えるのは保留にしておこう。
 雑多なあれこれ、老いに寄る肉体の変化、老いについていけない感情とか。

 病気を受け入れてありのままに生きる人もいるにはいるけれど、わたしはそこまで自分の状態に熟れていない。

 ありのままに生きようが、戦うぞ! と張り切って自らを病気とのバトルエリアに引っ張っていき、哀れ玉砕しようが、すべての先にみんな平等に与えられる死がある。
 平等とはありがたいことだ。
 ――で。病変の部分をさっくり切り取ってしまうしかないわたしは、実感として闘病がない。

 現状として血が止まりにくいまで身体機能が落ちているので、これを一定まで戻さないと手術もできない。戻らないとなると、あらたな検査もあらたな治療もするのだろう。
 
 ……いや、これは素人考えだ、忘れてくれ。
 誰にともなく、次々と思いつくことに頭を振って否定してみる。夜の窓ガラスは暗い鏡になって顔を上げるわたしを映す。
 卵が先か、ニワトリが先か。そうこう考えているうちに人生はあっという間に終わるのだよ、たぶんあっという間に。
 窓ガラスに映る女の顔に表情は見えない。

 わたしの病とはなんだろう。わたしは闘うのだろうか? それとも受け入れるのだろうか。
 切り取るだけでは解決できない、肉体の重さを感じる。生きてる重力、みたいな。

 考えても、考えなくてもこの先にみんなが等しく通る門が待っている。
 平等とはありがたいものだ。
 どこまで自分を切り取れば、わたしは今の状態に近く戻り、暮らしていけるのだろう?

 どこで折り合おうか。どこで諦めようか。どこで笑ってみようか。
 惨めに笑いたくない。――そう思うのは闘病というか、病に対する矜持に近い。闘ってなどいないぞわたしは。
 ふふん、と嗤う。傘も役に立たないほど雨は降りしきり、水煙はドラムロールを打つ。どこからか沸いてくる緊張と喜びに似た感情。一か月分の白い薬は両手に一杯。ふふ。

 ざまあみろ。

 ざまあみろ。笑ってやる。神さまはわたしを捨てたんじゃない。
 「もういいよ」 って背中を押してくれたんだ。平等の門へ。

満ちたる月
[告白]
 夫に病気の詳細を話した。全嫡と聞いて黙り込んだ。夕食のための買い物で、二人で出かけたスーパーの駐車場に月が昇る。
 彼が目を合わさないのでわたしは月を見ていた。うなじをどことなく掻いてみた。

 出血はしないもののあちこち痛くて、夕食を作るのもそこそこに居間に転がり込む。大きな猫のように丸くなって目を閉じる。
 その横に夫は正座で座ると、まだ畳んでいない洗濯物を静かに畳み始めた。
 わたしがこれまで愛した男性だ。そしてこれからも。

 辛い時期を乗り越えたのは二人だったからだと思う。
 二人でいるために逆に辛いこともあった。山ほどあった。二人でいないほうがいいとさえ思った。夫にできた恋人のこと、仕事のこと、借金のこと。誰にも言えないことがたくさんあって、ひとりで夜中のPCを覗いていた日々。

 つい先週のこと、夫は友人に会うために夜中まで帰らなかったわたしに、三本のメールをよこした。明らかに嫉妬していた。部屋に戻ると言い争いになった。
 自分の過去の不実を忘れているのか、と内心わたしは呆れた。愛されてるのかな、とチラリと思った。都合のいい愛だ、と思った。
 彼から与えられた世界から飛び出したくて、その夜は携帯を持ったまま眠った。

 その夫が、静かに家事を手伝ってくれる。

 病気とは、病気を告白するとはこんなにも人の心を動かすのか、と皮肉っぽく思うわたしがいて。単純に嬉しいわたしがいて。
 痛みは減らないけれど別な何かが満ちてくる気がした。

 月は満ちては欠け、ひとときもとどまることを知らない。
 わたしは夫の比翼の鳥か、いまだに自信はない。
 けれど今まで二人で乗り越えた時間は大切にしようと思う。そして今、側にいてくれる、一緒に荒らしの海へ舟を漕いでくれようとする姿を素直にありがたいと思う。

 夜中になると一時的に痛みは引く。
 よろよろと起き上がると一緒に起きてきて
「早く寝ろよ」
といいつつ、外に煙草を吸いに出た。
 風も雨もないもうすぐ満月の夜。

 月に 幸せか? と聞かれたら しあわせだ、とこたえるだろう。
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