2007年09月08日 02:01
また違う日のことでございます。
おしゃかさまは極楽の蓮池のふちを、ふらりふらりとお歩きになっていらっしゃいました。
季節を失ったかのようなこの極楽の蓮池のふちでございますが、
飽くことも無くお歩きになるおしゃかさまの気持ちを、蓮の花は気の遠くなるような昔から
つべらかな水面の上でじっと確かめていました。
すべてがみんな玉のように真っ白に見えた蓮の花も、よくよく見直しますと
あるいはうっすらと紅がさしたような2,3輪の花群れもございまして
極楽にさえ、完全たるもののひとつもないと沈黙のうちに教えられるのでした。
それでも池の中に咲いている蓮の花が濃く咲き匂うのですから、
極楽はいつもの朝を迎え、いつもの波立たぬ日常は繰り返されるのでしょう。
白い花房は「不変である」という約束に、重たげにしています。
おしゃかさまはその白い花房の中で、
最も重たげにその花を開いている場所に足をお止めになると、
下の容子(ようす)を御覧になりました。
蓮池の下が地獄の底に当たることは、真に不思議なものでございます。
美しい水底は遠く三途の河、果ては魍魎の竃(かまど)まで見渡すことができます。
そして地獄に棲まうものは極楽の水底を天として仰ぎ、火焔の空気を吸っては
天の涼し色に胸を焦がすのです。
いつの日かどちらかの均衡が硝子細工のように砕けたなら、
蓮池の覗き眼鏡で地獄を見ていた私などは、
たちまち呵責の地獄へ滑り落ちてしまいそうです。
よくよく考えますれば、呵責の地獄など極楽の世界では当に失われているのですから、
あらぬ憂き事に眉をひそめる私などは、
もとから極楽の生きものに価わないのでございましょう。
おしゃかさまはそうしたわたしの心のありように頓着することも無く、
地獄で蠢く集団の中の一人の男に目をお止めになりました。
おしゃかさまは極楽の蓮池のふちを、ふらりふらりとお歩きになっていらっしゃいました。
季節を失ったかのようなこの極楽の蓮池のふちでございますが、
飽くことも無くお歩きになるおしゃかさまの気持ちを、蓮の花は気の遠くなるような昔から
つべらかな水面の上でじっと確かめていました。
すべてがみんな玉のように真っ白に見えた蓮の花も、よくよく見直しますと
あるいはうっすらと紅がさしたような2,3輪の花群れもございまして
極楽にさえ、完全たるもののひとつもないと沈黙のうちに教えられるのでした。
それでも池の中に咲いている蓮の花が濃く咲き匂うのですから、
極楽はいつもの朝を迎え、いつもの波立たぬ日常は繰り返されるのでしょう。
白い花房は「不変である」という約束に、重たげにしています。
おしゃかさまはその白い花房の中で、
最も重たげにその花を開いている場所に足をお止めになると、
下の容子(ようす)を御覧になりました。
蓮池の下が地獄の底に当たることは、真に不思議なものでございます。
美しい水底は遠く三途の河、果ては魍魎の竃(かまど)まで見渡すことができます。
そして地獄に棲まうものは極楽の水底を天として仰ぎ、火焔の空気を吸っては
天の涼し色に胸を焦がすのです。
いつの日かどちらかの均衡が硝子細工のように砕けたなら、
蓮池の覗き眼鏡で地獄を見ていた私などは、
たちまち呵責の地獄へ滑り落ちてしまいそうです。
よくよく考えますれば、呵責の地獄など極楽の世界では当に失われているのですから、
あらぬ憂き事に眉をひそめる私などは、
もとから極楽の生きものに価わないのでございましょう。
おしゃかさまはそうしたわたしの心のありように頓着することも無く、
地獄で蠢く集団の中の一人の男に目をお止めになりました。



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