Iさんの退職

2007年05月31日 22:15

マシン・メンテナンスの I さんが退職した。
勤続22年に別れを告げる。

わたしの担当するマシンのほとんど、
ありとあらゆるシーケンス制御を一手に引き受けていた。
内作マシンの設計にも携わるいわば「父」的存在。
年はかなり離れているけど
わたしの若かりしころは^_^; 一番の喧嘩相手。

近年、合理化や効率化にともない
担当するラインは一番の槍玉に上がっていた。
いわれのない軋轢を受け、
「一朝一夕に誰でもできる仕事なら
 今ココにわたしは存在の意味を成さない。
 付加価値をつけ、信頼があって
 まだラインがつづいていることを認めてくれないのなら
 わたしはこの職場を捨てる。
 わたしはまだ他の職種もできるから」
・・・とても不遜な口ぶりでわたしは吠えた。
ソレを聞きつけて I さんが
「こんなオンボロ、早くなくなればラクなんだよ」と嗤った。

(心にもないことを)

そう思って睨み返すと、半分まじめな顔で
「ココがなくなればお前は、また新しい仕事に就けるじゃないか」
・・・そういってもう一度笑った。

「捨てる」と言い切った馬鹿オペレーターに
I さんは「捨てなさい」と背中を押す。
どんなに良いシーケンサーをつけても
マシンには生きものと同じように寿命がある。
他の職場の人と違って、長らく同じマシンに仕えているわたしに
I さんは毒入りの現実リンゴを投げて寄越す人だった。

大きな赤ん坊「LINDA」と「LAYRA」
プログラムを入れすぎて暴走する凶暴なやつら。
レイラのほうはNECの8801と書いてある・・・
一度交換したはずだが、それでも骨董品。
リンダはそれよりもっと古い。

去年だったか調子が悪くて
データを見るためにプリンターを起動させた。
古いプリンター、大きな音、出てくる印字のない紙束。
「おぉ!インクがない!しかもこれはインクリボンだ!!」
黒いセロテープみたいなリボン。
「これってパソコンというよりワープロだよw」
「インクリボンってまだ世の中にあるの?」
周りにいた数人と笑いあう。
 動かないマシンが当たり前で、
 どうにかして動かすことに熱心な人、
 古いから、と捨てられない人。
それがわたしと I さんをつなぐ接点だった気がする。

古い時代のオペレーターは
どうやってリンダとレイラを手なずければいいのだろう?
明日からのことを考えると 少し怖い。



















 

キツネ狩りの歌

2007年05月23日 00:51

Smile!.jpg



ふくさんが連日訪れてくださるので
ふと、、、、
違うブログでわたしが描いているキツネさんを
コチラで紹介w

みゆきさんの歌に「キツネ狩りの歌」ってありましたよね。
明るい歌だと思っていたら
最後にそ〜いう結末かいっ!!みたいな・・・
わたしもそ〜いうタイプの人間ですのん。

・・・そういえばコチラが本家のブログなのに
どうして帰って来れないんだろ?ww
明るいスキンにしたらせっせと記事を書きたくなるかな。。


嬉しい日

2007年05月22日 01:26

ひゃあっ!谷川俊太郎から中島みゆきにつながる人がいるのねっ!!
・・・
というのが最近の喜び。
FC2ブログで最初にコメントできたのは高校生のアリスさんで、
次がふくさん。。。うぅぅ、嬉しいっ!

高校時代に戻ったみたいに無邪気に嬉しいです。
・・・といっても
わたしのリアル高校時代は図書室と生徒会室と部室。。。
嬉しい顔する場所が決まっておりました。
ガンダムの話についていけなくても図書部員は心優しい人ばかりだったし、
生徒会室はダルイときの逃げ場所で。
部室ではドーランをいぢり、雑誌の『スクリーン』ばかり見てた。
(スクリーンはいつ見てもおもしろくなかったけど)
17歳はお昼にパン3個食べても
部活の時間におやつとか、バーガーとか、普通に食べられる生き物なんだよねw
結構痩せてたんだけどなぁ。 ふふふ

酷い時代だったけど、懐かしい思い出もあるん。
酷い時代だったけど、思い出せるようになった。

何より過去形になっている!

人間、年をとるってこういうことなのかな。
ふむ。

・・・で。 やっぱり最後はにこっとなる、 今夜はいい夜。





5月12日

2007年05月12日 02:47

わたしに語りかけてくれるすべての人に
生まれてくれてありがとう。

5月の夜

2007年05月06日 23:36

久しぶりに酷い私信を出した。
・・・ん?久しぶりでもないか。
わたしはいつも人を傷つけてばっかだ。
いつかわたしは自分の言葉で人を殺すかも。
暗然とそんなことを考えながら私信を閉じる。


連休前から扁桃腺の腫れが引かない。
たぶん免疫とか落ちてるのだろう。
肘にひょいとレジ袋をかけた、それだけのことで
接触性のジンマシンが出た。 
明日から仕事。
気弱いモードから早く脱却してください、カラダ。


星のない空を見る。
元気ですか・?


ソコデ燃エテイル炎

2007年05月01日 18:34

高校の部活動の顧問は、国語を教えてくれる女教師だった。
彼女は膠原病で、足の不自由な体にもかかわらず
階段をヒトアシ、ヒトアシ、杖を使い教室に来た。
牛乳瓶の底のようなメガネをしていて、ベリーショートの髪、
風貌から見れば・・・同じ年代の教師から外れていた気もする。

でもわたしの出身校は、
世間から外れ気味の教師がたどり着くらしく(苦笑)
某組合闘争で揉めまくったお人、とか
アルコール中毒で授業中、
元素記号を書く手が小刻みに震える幻視系化学教師、とか
某美術展に無鑑査の本物の絵描きなのに
何でこんなところに・・・?の美術教師、とか
体罰で・・・、とか
女生徒とウフフ、とか・・・

まぁ、これだけの種類のパターンが存在したら、
社会に出て『人間』でカルチャーショックは受けないよな
・・・みたいな
そんななかの、病気と闘う系の教師のお一人だった。

彼女はいつも教壇では毅然としていたが
ある授業中、いきなり横に椅子ごとズドンとひっくり返った。
(長時間立てない彼女は、本を読む間は椅子に座っていた)

虫が風を受けてひっくり返り、ジタバタしているような姿。
生徒は驚いて立ち上がった。
どうしていいのかわからず固まる空気。
彼女はゆっくり顔だけを起こした。
「せ、先生!先生を呼んできますぅ!」
誰かが横で声を出す。
いっせいに何人かが扉の方向に体を向け、また固まる。
(え?誰がいくの?あんた?え?)
緊急の場合、誰もが人に頼りがちで
自分よりもっと知識のある、
行動力のある人に頼りたいに決まってる。
ソレが如実に出た。 誰も動けない。

「おい、誰か起こしてやれよ」
息がうまくできなくてかすれた声がする。
わたしといえば、
いつものように授業中の絵描きに夢中で
乾いていないスケッチブックを人目から隠すことに集中しており。
「先生、ダイジョウブデスカ?」
ようやく緊縛から解けたように一人が教壇に歩み寄る。
「センセイ」 
「センセイ、保健室ニ連レテ行カナイト」
こわばった声が次第に教室の温度を上げる。
緊急事態。 17歳たちは慣れていなかった。

先生は、というと。

青いというより白くなった顔をゆっくりもたげると
「誰も、呼ばなくてけっこうです」
そういって5分くらい・・・もしかしたら10分かもしれない、
とても長い時間をかけてその場に座り込んだ。
その間生徒は声をあげるだけで
歩み寄る生徒はいたが、先生から立ち上る
わけのわからない空気のような、炎のようなものに怯え
動けないで居た。
複数の生徒が感じていたのだ、
立ち上る陽炎のような圧迫感を。

それが、わたしが人から立ち上がる『炎』を見た最初だ。



あれはナンだったんだろう?
今でも時々思い出すけれど
当時その女教師が取り立てて
国語に熱い情熱を燃やしていたようにも思えず
(苦笑)
けれどそのカラダを起こしたときの姿は
何かを一心に思うエネルギーの表れのようで。
たまに、・・・ごくたまに会う高校の同級生との会話の中で
その女教師のあの姿は
誰の記憶にも残っているらしいと知った。。

成人して高校にもOB面して行くことがなくなったある日、
彼女の訃報を聞いた。
卒業まで名前も知らなかった後輩が
どういうわけか、わざわざわたしを卒業生と認め、
教えてくれた話。

「先生は倒れても助けを呼ばなかったんです。
 自分で立ち上がられて・・・
 ええ。先輩の話と違うんですが、わたしたちの年度でも
 倒れているんです。 ええ。
 具合がかなり悪かったのだ と
 亡くなってから聞きました」

わたしは後輩の勤めるケーキ屋の店先で
声も立てず泣いた。
顧問の死を東京に住む部活仲間に伝え、
同郷の仲間にも・・・と思いながら
音信をつなぐことができずに今日に至っている。

17歳の頃は死ぬことばかり考えていた。
その目の前で燃えていたあの炎は
イノチだったんだろうか? と 思いながら。
軽々しく言葉を出し示す自分に
尻軽め! 安易なヤツ と舌打ちしている。

年を経て亡くなった女教師の年齢を超え、
再び炎らしきものを見て、
さんざんお世話になったはずの彼女と
学校の話以外、何の会話もなかったことに気づいた。
死んだ人と会話をするのは得意ではないが、
あの炎や 夢見ていたものを
夢枕にでも聞かせて欲しいと 密かに思っている。