まゆだまの一生 

2008年05月31日 04:16

あたしの本体はねむっている。ずいぶんながくねむっているのか、それともとっくの昔に死んでいるのか、カラダは土と同化したように全身にコケと草をまとっている。
あたしはそんな動きづらい肉や皮などすっかりぬけだして、白いまゆだまひとつになって本体と別れを告げた。本体にはあとどれくらいあたしと同じあたしが残っているのだろう?それともあたしが最後のあたしなんだろうか?

ま、こむずかしいことを考えてもアレなんだ。アレっていうのはアレで……そう、まゆだまに脳みその入るスペースなんてありはしないんだからさ。これから先は自分のやりたいことだけをやるためにアレしたわけで。
あああ、どうでもいいや。あたしはこれでいいんだ。あたしは本体ではなくなった、それだけだ。


本体じゃないあたしってなんなんだろう。結局生まれ変わっただけのただの「本体」なんだろか?
あたしが眠ってしまったらまたあたらしい本体が生まれて、あたしの中から湧き出てどこかへ飛んでいくんだろか?

そんなことを考えていると、考えていると自分が年を取ったような気がする。いかん、さっき本体から抜け出たばかりだと言うのに、考えるとオトナになるぞ。オトナになるとな、そのうち死んでしまうんだ腐っちまうんだ。ああいやだ。

眠っている本体を斜め下に見下ろす。

本体はオトナになってさあ、そのうち死んでしまうんだよ。運がいいとな。
運がよくない本体ってさあ、オトナになる前に死んじまうんだよな。
運がよくて生きのびて、あれやこれやグダグダ考えてるのって、幸せじゃん?幸せじゃないのかな?あたしは本体じゃないからわかんないけど、あたしが今、本体だったら幸せだと思うよ。うん。
運ってなにさ。そこに神さまも仏様もいないよ。
何を考えるひまもなく右から左へと生まれて死んでいくのもいるってことで。産声も上げずに死を宣告される命よりよっぽどましさ、って。

よっぽどまし、ってさ、命が終わったあとから見たらすべて同じに見えちゃうんだけどね。本体って何のために生まれてきたんだろう?「誰かよりよっぽどまし」って、なにかと自分を比べたくて生まれたんだとしたら、生まれないほうが勝ちだよ。
生まれなきゃ死ぬこともない。生まれなきゃ比べることもない。
勝ち負けって言葉もないだろうし……、あ、世界なんて要らなくなるんだ!

それでも本体はどっかからの命令なのか生まれて来るんだよなあ。
死ぬためにどうして生まれるんだ?どうして生まれてきたんだ。
本体についてたコケがそうさせるのか、あたしには悲しい成分が余計に入っているらしい。


あたしは本体から抜け出て、すっかり気楽になったと思ったんだけど。それでも本体が寝込む前に信じてた神さまにはちっと恨みがある。
怨んじゃいけないよな、あたしはすっかりラクになったはずだ。もう誰も信じないんだから。
ガシガシと頭を掻く右腕が欲しい。
でもあたしはまゆだまで、右腕どころか頭さえ区別のつかないかたまりだ。

本体から抜け出るとき残ってしまったらしい、わずかな視覚と嗅覚のチカラで緑の匂いをかぎ、朝の気配を知る。あたしの目ってどこさ。あたしの鼻ってどこにある?まゆだまのあたしは震えてみる。あたしには朝も夜もない。本体にも今はたぶん、ない。


正しさってなによ。

正しいことってあたしの心の中にしかないのよ、きっと。他人にとっての正しさはあたしのものさしになれない。ちと手直しをするか、気に入らなくて投げ捨てとくか。
あたしの正しさはあたしだけのもの。
それでもさ、あたしに優しくしてくれる人とはなんちゅうか、正しさが似てるような気がするんだよね。しんぱしー?っていうの?あたしのからだは他人の正しさも一緒にくくってふくらんで世界にぱんぱんにみちてゆく。素敵じゃん。しんぱしーって最高。あたしが世界になったきもち。

たぶんあたしの本体は、世界にも、だれかの正しさにもなれなかった。だからああして眠っているんだろう。
あたしの本体は本体の中で正しかったけれど、でも世界のなかではこれっぽっちのそんざいもなかった。正しいことって心の外に出たら固まらない限り、あたしみたいにふわふわただようだけ。正しいってかたまりになることなのかな。あたしは正しさじゃないよ。
生きてるのか死んでるのかって?そんざいはキョウチョウしたものが勝ちで、さ。
あたしの本体はあいかわらず動かない。
ニンゲンってヤツはとても皮膚の薄いいきものなんだな。ところどころで白い花が皮膚を食い破って本体にちょくせつ生えている。
そんざいのない弱いヤツだ本体。もと、あたし。

――あたしは脳みそのないたまの中でグルグル考えるフリをした。けれど、どうにも重たくって仕方がない。
あたしはカラダを獲得し始めたんだろうか?脳みそが生えてきたんだろうか?心配だ。「きっと死ぬ確立」が倍増する。あたしはまだ何も果たしていない。重いカラダなんてほしくないや。

正しさなんて思いをよせることが悪かった。
どうせ本体とも他の命ともあたしのたましいが違うように、正しさもそれぞれ違っていて。しんぱしーの持てそうな人と正しさが似ているからって、それが森や社会の中での正しさではないっちゅうこと。どうせ。

ふてふてっとカラダが重くなる。本体は眠っている。
……やっぱ死んだのか、よく頑張ったな。
あたしはこれから先どうなるんだろう?まゆだまになってみたものの考える。
眠いよう。あたしも眠り込んじゃいそうだ。もうあたしの命は終わりなのかな。

なんのためにうまれてきたんだろう。
ガシガシと頭を掻く右腕が欲しい。
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こころの中を探す

2008年05月25日 11:02

「うそとほんと」   谷川俊太郎

うそとほんとはよく似てる
ほんとはうそとよく似てる
うそとほんとは
双生児

うそとほんとはよくまざる
ほんとはうそとよくまざる
うそとほんとは
化合物

うその中にうそを探すな
ほんとの中にうそを探せ
ほんとの中にほんとを探すな
うその中にほんとを探せ


感情を切り離し、文の正確性だけをみつめることが相互の理解に踏み込めること≒検証
文を書くにいたる感情をみつめる時期はいつだ?検証後、か?
検証が主眼ならば感情は触れないままか。ふむ。居心地が悪い。気持ちの居所が悪い。
諦念と理解を求める希望がごちゃ混ぜで、気持ち悪い。
どこに突っ込んでいるのだ、という不満と諦め。なぜうまくかえす言葉が見つからないのだ、と言う自分への苛立ち。
言葉を探す、何のため。これ以上何のため。
自分のまいた種により生まれる言葉、何のために種をまく、どんな花を咲かせたい?


さっさと選べ、自分。わたしはどうしたい?
※限定公開から公開に。 2008/05/27 3:18

トラックバック悲話

2008年05月22日 09:05

このブログは基本、コメントとトラックバックを受け付けています。
でもトラックバックの表示は隠しておりましたの。全っ然というくらいトラバはありませんでしたし。

――で、久しぶりに管理画面であちこち触っておりましたのね。

んまっ。トラックバック257件。  何事?
3/23から始まって月あたり120件超ですか?いや、だったのですか?(過去形)

英文だからおつむの悪い魍魎は読めませんけど、それがどんな匂いがするかぐらいはわかります。
一括で削除しながら、今のニンゲンにとってせっくすとは享楽のツールなのかなぁ、、と暗澹たる思いになりました。

わかってますよぉ。
ほとんど機械仕掛けで送られてくるスパムでしょ。
でも、汚されてくようで気に入らないなぁ。。。
拒絶したくなるコミュニケーションを使うスパマーさん。
あなたはWEBに刹那以外の何を残せるの?

覚え書き、誰も知らない命

2008年05月18日 17:26

美女  誰も知らない命は生命(いのち)ではありません。この宝玉も、この指環も、人が見ないでは、ちっとも価値(ねうち)がないのです。

公子  それは不可(いか)ん。貴方は栄燿(えよう)が見せびらかしたいんだな。そりゃ不可ん。人は自己、時分で満足をせねばならん。人に価値(ねうち)をつけさせて、それに従うべきものじゃない。人は自分で活きれば可(い)い、生命(いのち)を保てば可い。しかも愛するものとともに活きれば、少しも不足はなかろうと思う。
宝玉とてもその通り、手箱にこれを蔵すれば、宝玉そのものだけの価値を保つ。人に与うる時、十倍の光を放つ。ただ、人に見せびらかす時、その艶は黒くなり、その質は醜くなる。

泉鏡花 戯曲   『海神別荘』より抜粋


読むたびに美しい言葉に魅了される。 ただ。。。
おんなのことをたくさん知ってるけれど、勝手な言い草をする、オネエ系だ。


コノソンゲン

2008年05月17日 12:47

心ならずも 病を得てしまったひとはかなしい。
心ならずも 肉体やたましいを虐げられたひとはかなしい。

だから 時々 暴れだす炎のような命の叫びを
ひとに押し当ててじぶんが生きていることを確かめる
そんな
ものぐるおしいひとときを 赦してくださいかみさま。

炎に焼かれて血をながすひとがいたとしても
たましいのおくそこは
狂気にむせぶわたしの心を見据え そして赦し
ほんとうの心だけが わたしとひとのあいだに流れますように。
たんぽぽ飛んだ
心ならずも人を傷つけるが、傷つけたくて傷つけるわけじゃない。



WEBは基本、言葉しか表現の翼を持たないので、傷ついたひとのすべてを表すためには不便だと思う。言葉で表せない仕草、目線、声のかすれ、すべてを使ってもリアルの世界では傷ついたひとを理解してもらえず、差別されることのほうが多い。

心ならずも病む、心ならずも犯される、心ならずも暴力に屈する。それらのことで傷ついても、傷ついた人たちは『傷ついたマジョリティ』として自分たちを一色に混ぜ合わせることが出来ない。

『幸福な家庭は一様だが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である』  トルストイ


個の尊厳を手繰れば、心を寄せ合い理解したいと心のどこかで叫びながらも、一つになれず幸福な家庭の灯りの数に自分がマイノリティだということを確かめるわたしがいる。それぞれに一様でないかなしみ。

個の尊厳を守るとは自分がひとりであることに付き合うことだと思う。

幸福に見える家庭にもかなしみはあるだろう。人並みにふるまうことがしあわせだと教えられてきた人たちは多いはずだ。

鏡のように立ち上がる仕合わせとふし合わせ。本当にしあわせな人間って、どこにいるのかな。ひとりを尊び、集には滑らかに混じる完全なたましい。

with baby, without baby.

2008年05月17日 11:45

とりとめなく書いたので当初は限定公開してました。
もうちょっと気分軽めに公開してみますが、さて。
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わたしはツタ

2008年05月10日 12:36

WEBからころしてしまう、わたしはそのひとのツタなのです。

おたがいを いかしあえることができなかった。

じぶんのいのちひとつで そのひとのいのちが とりもどせますか?



照らしあう光

2008年05月05日 10:48

Y'ブログをしばらく放置します。


2/15のコメントをきっかけにいろんなことを考えました。

1.対話する相手のすり替えをされたくありません。

2.自分なりの議論の基本において、議論にまで到った私信(鍵コメント・鍵付きゲストブック)の公開をためらいます。
  わたしはいわゆる「議論派」ではありません。対話を望むだけです。そして徹底した対話を望むとき、私信の公開も一理あるかと思います。
  けれど『鍵』には相手のデリケートな心の部分が含まれていると思います。
  心がある限り、どんな内容でもわたしは私信を私信のまま受け入れたい。
  「私信」とは第三者に公開されない対話を意味します。
  
  対話が破棄されるときは私信の公開も辞しませんが、むしろ議論や対話でなく抗議の意味で出します。その際はコメント・トラックバックを拒否します。

3.一方的なコミュニケーションの終了を受け入れられませんでした。
  私信であれ公開であれ、ブログをコミュニケーションの場としても考えるわたしは、問われたことに出来うるかぎり応えます。
  問われて「ご理解できましたか?」と返しても対話を切り上げる旨だけ返されるのは、かなり辛い。
  自分サイドに書き手としての重大な手落ちがあるのでは?と煩悶を繰り返します。
  相手の表現の自由を大切にしたいと思います。逆に、わたしの言葉を問われ、解いて返すときにひと言でいい、「わかりました」か「わかりません」がほしかった。
  本当はとても悲しい。大切に心をこめて書いた私信であればあるほどに。
  粘着質ですか、わたし



4.読み手の誤読は書き手の技術の未熟さ、と恥じます。何度書いても誤読されることに自分の文章表現の異端/コミュニケーションの欠如を感じました。


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