ひとりぽつりぽつり

2008年09月29日 03:20

今夜、白い光の向こうに何を見ていますか?
ひとりひとり。みんなひとり。
誰と会って、さっき抱き合っていても、やがてひとり。
かすかなPCの出す呼吸音や熱が、温めてくれるのですか?
人のぬくもりがいとしくて、けれどそれをきっかけにひとりになる。

怒りは言葉を持たない。
悲しみは誰かが似た形の言葉をもたらしてくれる。
編んで戸口に着せ掛ける。
喜びは分かち合いたい。草原で人を呼ぶ。歌を歌う。ひとりに気づく。
楽しみは無心になる。こころにすきまができて、風は笑って通る。

雨の音が耳に届いたら我にかえる。
ぽつり、ぽつり。
ひとり、ひとり。
白い光の向こうに映る言葉をなぞり、写し取ってゆこう。
本当に美しいものはどこにあるのか。

ひとり。ぽつり。
PCも呼吸をしている。
そして光の向こうにも、きっと。ひとり、ひとりずつで。

ひとつの魔法が解けたあと

2008年09月25日 02:45

先日、大阪に家族旅行に行きました。
旅行先の夜、希なる縁でOYAJIさん阿檀さん児島の仙人さん、ももんがさんとお会いすることになりました。わたしにとって初めての「オフ会」だったんですね。
どんな方々だったか、どんなお話をしたか、それぞれの方の記事をお読みになっていただくことにして。
とても嬉しく、心に残る出会いでした。
わたしがたとえばその夜のことを書くとしたら、「最後の握手」だと思いました。
この先の追記は、ひそりと書いてる自分の日記から出したものです。


【関連記事】
ブログ史上空前の前代未聞のオフ会(OYAJIさん)
ネットの魔法、会う魔法(阿檀さん)
ネットを通じて知り合えたという「縁」を大切にすること。〜OYAJIさんへの謝罪〜(児島の仙人さん)
1  ←(愛しのももんがさん)
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おりがみ

2008年09月19日 13:52

折り紙
おりがみで舟をつくった かぶとをつくった 
手裏剣をとばした 剣でたたかった

「だまし舟、ほうら」
母さんからだまされても ちっとも悔しくなかった
きれいな紙じゃなかった やわやわだし、さ
だけどぼくのおりがみは 大切なたからものなんだ

ぼくは今日 鳥を折る
ほんものじゃないけど 
いのりは形にしたら鳥になるんだって
鳥になるんだって ほんとうかな

        〜コメント欄不調で苦しむB氏へ遠くからコメント代わりに〜

写真素材-フォトライブラリー
この画像のアーティスト:ailiaさんのプロフィールと画像

わたしは何のために書いているのか。とボンヤリ暗く考えて。

2008年09月17日 22:37

――最初は自分を紐解くためだった。
消費して燃やし尽くす旅だと言ってもいい。

書くうちにさまざまな言葉に出会った。
いつも惹かれるのは、暗い海にひとつ光る北極星みたいな孤高の言葉や物語。
それを綴っていく人たち。

人が好きで、人が嫌いで、求めて求められなくて。
叫ぶためだけに突き上げた拳を、振り上げた瞬間、赦すように開いて。
赤子が笑うようにほどける手のひらに言葉が残って。
……そんな幻影を何度も見る。見るほどに物語にのめり込み、綴っていく人を好きになる。

星は瞬く。
あの星の光は遠い昔終わってしまった生命の輝き。
光がわたしたちの場所を通り抜け、あとどれ位したら、あの星のあった場所に生命は戻ってくるのだろう?
それとももう戻らないのか?

誰かにたった一度「自分」を届けるために命が輝くのだとしたら、言葉は命の一部であり、命そのものなのだろう。
星が光るように。
わたしがここに生きていたことを伝えたい。



――自分が絶対なんて考えてや、いないさ。
けれど、何のために書いているの?と問わずにいられない人を見ていると悲しくなる。

たくが、WEBの中にだけ生きているたくが言うんだ。
「生きてるっていいね」
たくはこの世にいないから、もう新しい言葉を綴れない。
まだたくさんこれからも言葉を発していくだろう、わたしやわたしの周りは、言葉の光をどう思っているのだろう?
命に光なんてないと思ってるのかな。

2008年09月08日 23:59

弟が引っ越すから要らなくなったテレビを送るという。電話を受けた夫は二つ返事でいると言ったらしい。
とかく身内からなにか持ってくるといわれて断ったことがない。ウチに要らないものもやって来るけど、(その比率は段々多くなってきているけど)それは付き合いだからしょうがないのだと諦めていた。
諦めながら、趣味に合わない大型の家具や衣服が運び込まれたりすることにつくづく閉口していた。

夕方、電話が来る。わたしは「要らないよ」と言った。
我が家のテレビは確かに古いけれど、差し替えてそれを処分するのも一苦労だし。なにより弟がこれまで実家にもってきた家具や車は、すぐに修理が必要になる、どこをどう押しても中古品だったからね。
現実主義者の姉は冷たかったんだ。うん。

夜になってまた電話が来る。今度はゴルフバッグだという。
ゴルフはしないから、というと「これから接待もあるだろうから」と引き下がらない。
「身内以外に渡すことになるから、それなら身内にやったほうが……」と良かれ良かれで電話口が笑っている。実家には音量が大きいので小さくしてと頼んでいたはずなのに、電話口の声は相変わらず大きい。――家族の血統で声が大きいのかな?

あまりにゴルフゴルフとうるさいので、きーっとなった。
「そんなにウチのダンナにゴルフがさせたいのか?いらないものは要らない!」
……すると、ちょっとは弁が立つらしい弟がわたしを論破しようと声を張り上げ始めた。声を張るのは感情的じゃん。わたしがついさっきやったことを、どうして繰り返してることに気づかないのかな。

「あなたは精神的に病んでいる」「そのものの言い方はおかしい」
「いいましたよね?いってませんか?いいましたよね、事実ですね、認めなさい」
その繰り返し。論破ではなくもう、ヒステリーだ。
こちらのほうが引いてしまって、「親に代わってください、第三者を入れよう」というと「嫌だ」と言う。
親を入れてもまるで建設的にならないのはわかっていたが、冷静になってもらいたかった。それほど弟はおかしかったと思う。
その弟がわたしのことを「精神的に病んでいる」と言う。
「きょうだいだから全部言い合おう」と言う。自分の病気のことは一切触れないくせに。
やり取りの間にも大声で「認めなさい、言ったでしょう」とそればかりを続ける。まるで建設的ではない。何か別なことを言おうとしても一辺倒なので疲れた。

しばらく受話器を放していた。うるさかった。
電話の向こうで気づいたらしく「電話を切るつもりですか、切るのですか」と言っている。
切ったらどうなるのだ?縁でも切るというのか、切れてしまうと嘆いているのか、どっちだ?

弟は仕事を辞めるらしい。或いはもう辞めたのか。
体の具合も悪いのだろう。透析はまだせずに済んでいるのか。心は、心を病んでいるらしいという親からの伝え聞きを、わたしはいつまで知らぬフリでいればいいのだ。
親も、兄弟もそしてわたしも、家族の誰もが自分の秘密を語ろうとしない。
わたしの家族の本質はバラバラなのだ。両親が自分の出生や、周りに認めてもらおうと必死だったこと……それらに奔走している間、子どもだったわたし達兄弟は孤独だった。
放置され、気まぐれに束縛され、愛情の両極端を行ったりきたりして育った。だから、みんなバラバラ。

わたしが病んでいると言われても動じない。病んでいるのだろう。弟どころか両親も知らないが、体も病んでいるんだ、わざわざ誇張しなくてもいいよ。

病んでることを指摘して怯えさせたいのか、とか思ったら父に似ているなぁと思った。
子どもを押さえつけるために、いつも「お前はおかしい」「言うばかりで行動しない人間だ」と罵っていた。口答えは許さずいつも大声で人を圧そうとしていた。その父は脳梗塞で、段々言葉も怪しくなっている。
父に似ている――そう言ったら、弟は激怒するんだろうな。

昔の父を思い出し、投げやりに答えているとますますヒートアップしてきたので電話を切る。
最後は「お父さん(夫)に電話を代わってもいいよ、イヤ、代われ!電話に出せ!」と叫んでいた。
夫が二つ返事で安受けあいした上に、病んでる姉のわたしが「要らない」ということでこんなことになった。身内だから何でも貰いものは受けなくちゃならないシステムが、ちっとも愚かなわたしにはわからない。
要らないのに。どうして要ると言わなくちゃ好(よし)としてくれないんだろう。

弟は電話口で「(テレビを)二日掛かりで妹と運んだ」とか話していた。リモコンは忘れたと言う。……県外に置忘れか。
テレビの件で納得もいかなかったらしい。ゴルフバッグはもっと意味不明だ。
ゴルフをしないと言うのに、なぜ身内だから、将来やるかもしれないから、と今要らないものをもらわなくちゃならないのか。
わたしにはわからない。病んでいるのだろう。トホホだ。とほほ。

電話が鳴る。夜分遅くの時間に、だ。
電話口は叫んでいる「お父さんに代わってください」。今度は安受けあいした夫に謝罪をさせたいのか。
どっちが正しいんだろうな、と思いつつ受話器を上げて切りなおす。また掛って来る。切りなおす。
ふと思いついてプラグを抜く。シーンとなる。

弟よ。元気にしてるのか、君は。
腎臓をあげられなくなったよ、ごめんね。家族の中で血液型が合うのはわたしだけなのにね。移植の可能性を低くして申し訳ない。
君が病んでいるようにわたしもどこか病んでるのだ。君はそれをわたしに言ってくれないけれど。
わたし達は孤独だね。お互いの病を打ち明けることはないのだろうね。
気遣いあっているつもりでも、傷つけあっているのだね。
せめて電話が来るのが今日じゃなければな、とか、言うのは言い訳かい?

姉は孤独だ。そうだよ、病んでいるのだ。君は正しいよ。

2008年09月06日 01:36

あとで読む。「非営利目的」について

著作権法38条 はてなダイアリー

はじめての著作権講座

難しいのう。。。
全然関係ないフォーラムのスレ。
迷惑ブログバスター 記事の件名: Re: スレ自体が ”意味ね。”という発言ではないのでは?Posted: 2006/05/06(土) 09:33 に目を惹かれる。

幸せになりたかったら、否定より肯定。批判より賞賛。反対より別意見。軽視より尊重。悪意より好意…


この言葉はわたしにとっても目標だ。
こんな風に考えたいという思いはある。けれど100%同意できない。
それは自分がまだその考えに至らない、成長途上であるから。
   ☆     ☆     ☆
今、わたしがひたひたと歩いている道はこの方の文章の中の、このあたり。(ちょっと長い)

自分に無関係なことを非難したところで、なんの生産性も発展性もない、それこそまったく意味のない行為であり、時間と労力の浪費であることを、「意味がない」と書き込んだ本人自身だけが気付いていないのです。喩えるなら、裸の王様です 。


世界のすべてのことをすべて受け入れ、考え、答えて問うことは人間の体にはできない。時間的にも。精神的にも。体力的にも。
非難は無関係と友達なんだろうな。ポツンとそう思う。
生産性とか発展性とか、とてもニュアンスが機械的。鋼の匂いの言葉はちょっと苦手だ。
けれど言葉のやり取りで徒労に終わるより、何か別の文章を生み出したり育ったりすることが≒生産性や発展性 と考えれば理解できる。
「浪費」という言葉に違和感を感じるのは、自分も浪費してることの逆ギレかな?裸の王様が耳に痛い。

それに気づいている人は、書き込まないで、「自分には関係のないことだ」と黙って去っていく。これが一般社会でも普通の行為であり、圧倒的多数を占めるサイレントマジョリティです。


建設的にコミットとか、、、そんなにうまく言語化できるものでもないのだけれどね。
わたしはサイレントマジョリティを否定はしない。わたしが時としてそうであるのだから。生きているわたしをわたしは否定しない。

世界と無関係でいたくない、けれど世界のすべてを受け入れるほどわたしは全能じゃあ、ない。

そこから一歩進んで、建設的にコミットできる人は、論点を形式知化(考えていることを理路整然と明確に)できますから、非難ではなく、議論を持ちかけます。(非難と議論が別物であることは言うまでもありますまい)


わたしが世界と無関係でいたくないのは、この世に生れ落ちて、自分以外の他者を感じたからだろう。他者への興味でもある。興味が高じてコミュニケーションし、自分の心に芽生えた感情は自分だけの財産だとも知った。愛情も憎しみもごった煮で知った。自分がひとりである感触は恐怖だった。

世界と無関係でいたくない/つながりを求める のは、遺伝子地図に描かれた道のひとつなんじゃない?とか。……とか。
道ならどこにゴールを見いだすか?とか、「地図」で言葉遊びしてはいけないんだけど。
わたしの遺伝子地図はたった一人の登場人物ではなく、生を終わるまでにめぐり合えないほどのたくさんの人や縁で構成されている。
わたしはわたしなんだけど、結局自分だけの「わたし」になれない。ならない。

世界と無関係ではいられないと思うのは、わたしの驕りだろうか。
理路整然と明確にできなくても、無関係ではいられないと思う、お節介な人間≒わたし。
同時にすべてに関わることの限界も知っている。中途半端に通りすがることの危険さも。

浪費、浪費。この言葉が喉の奥に引っかかる。
一生懸命生きて、向き合って、それでもすべてに向き合えない無力感に襲われることがある。
携わりたいことであっても、それをなせば別などれかを捨てなくちゃならないとしたら、わたしは自分にとって大切なものの方を選ぶ。それがサイレントマジョリティであっても、何であっても構わない。
全能ではない自分が守れるものは少ない。もしかしたら何も守れないかもしれない、向き合えないかもしれない。
けれどわたしは選ぶ。選ぶことは浪費ではない。「浪費ではない」と綴る指先が凍る。

意味のないことなどないと思う。世界と無関係ではいられないのだ、とも思う。
非難と議論は別物。
わたしはどう関わっていくのか。

――なんだかとりとめがなくなってしまった。
冒頭のリンク先まだ読んでない。自分ができること、関われることの限界をそっとみている。
見ているだけでは、駄目なのだ。たぶん。 考えよう。どこに自分が行くのか、何をしたいのか。
わたしは何のためにここでぼんやり書いてるのか。

※追記部分を書き出したことで一般公開に出す。  9/8 14:20

画像投稿にあうテンプレート

2008年09月05日 22:55

めんどくさいからテンプレート戻した。 orz プラグインが空中分解中。
夏の花

写真を並べてギャラリーみたいにするのも麗しげなテンプレート。試しに使ってみます。

更新の少ない、けれど書き出したらだらだらと長文……という方(わたしかもしれないw)は、TOPページにこんな風に記事を並べると、縦にスクロールする手間が省けるし、目に付いた記事にパッと飛び込みやすいのですよね。

でも、ただひとつ欠点が。
人目を引く書き出しをしないと、記事にたどり着いてもらえない!(爆)
イントロダクション重視、でなくば画像を投稿して美しさで目立とう!(笑)

もひとつ言わせて貰うと、メールフォームが隠れるのよね。プロフィールとかロゴとか。
自分の目印部分が折り畳まれてるのは、ちっとブログ主的に気持ちよくないかも。かも。
『ゲストがメールフォームや(協力)テオフィリンサイトにたどり着けないじゃないかよ〜!!』とか、普段メールフォームが閑古鳥のわたしが言うことぢゃないですね、そうですね。

追記  やっぱりプレビューで見た感じがいまいち慣れない。センスのよい文書けないからだろうか。

メイソウ

2008年09月05日 01:50

オンナでなくなるときは、オンナを授かったときと同じ気持ちになるのかな。
避けがたいものを押し当てられて、悲鳴のようなよろこびのような声をあげて泣くのかな。
オトコはオトコを受け入れるときどんなことを思うのだろう。

オンナとひと口に言うけれど、女の性はどこの部分で他の性と分け違えるのだろう。
乳房?性器?その声や仕草?目に見えない心とは、いわないだろう?
男性の象徴を失いたくなくて前立腺がんを末期まで自分のなかに押し込めていた俳優を思い出す。
カタチが性を表すなら、カタチの未だ現れない子どもや、なんらかで失ってしまった成人はどうすればいい?

性は、生だ と知ったかぶりの識者が言う。
そうか生きることなのか。
「生きる」とは、たとえば肉体のカタチをとどめ続ける努力だと思うわたしは、カタチがなくなったときどうすればいい?わたしはそれでも生きているのか?
生きていると思うくらい、強く、つよくなれるのか。

つよいはよわい。よわいはつよい。
形あるものはいずれ形をなくし、形無きものは形がないゆえにその存在を忘れられる。忘れられる前に、覚えてもらえない。
ただ夢見る。
誰かの夢にそっと自分が立つことを。名前を呼んで。忘れていいから。

迷走、中。

浅い眠り

2008年09月02日 05:59

夜明け前に目が覚める。WEBの夜空を見上げると星が光ってる。
その光に吸われるように訪れると、語られているはずの新しい物語がない。
とぼとぼと帰り途、振り返ると背中で星が光る。「こちらをみてくれ」とばかりに。
星あかりは取りにいけないのさ、宇宙船に乗っても。
光ることが物語なら、もう夜空を見上げることなく自分のねぐらで丸まっていよう。

まばたく星の金平糖。雲に隠れた蜜色の月。
はらぺこな魍魎は夜空がとって喰えないことを知ってる。
それでも見上げるのは、浅い眠りにひとつ、眠るためのおとぎばなしがほしいから。

今 夜空におとぎばなしはない。
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