2008年10月28日 06:07
ずっと前から気づいていて気づかないフリをしていた。
「花陰」がどうして書けなくなったか。
わたしの書くおしゃかさまは救いとか善の象徴ではなく、永遠の罪人だったから。
だれも描く世界の中に善人たる「善人」がいなくて。
対になるものがほしかったのに、対は現れることがなくて。
きっと一つの輪の中で、生きることも死ぬことも、よいことも悪いことも、内側に向かって放出されて完結しそうだった。
救いがない、そんなものでもなく。なんていうんだろう。
果てがない孤独というか。物語じゃなく、こんな風に「ひとりがたり」で消えてしまいそうだった。
◇ ◇ ◇
また同じようなものを唐突に書きはじめたけれど、これは自分のため。
「ひとりがたり」のためのひとりがたり。
きっとわたしは向き合う人が本当にほしいんだと思う。対がほしいのかな。
そしてまだ、ずっとひとりの丘を登り、歩くのだと思う。
「花陰」がどうして書けなくなったか。
わたしの書くおしゃかさまは救いとか善の象徴ではなく、永遠の罪人だったから。
だれも描く世界の中に善人たる「善人」がいなくて。
対になるものがほしかったのに、対は現れることがなくて。
きっと一つの輪の中で、生きることも死ぬことも、よいことも悪いことも、内側に向かって放出されて完結しそうだった。
救いがない、そんなものでもなく。なんていうんだろう。
果てがない孤独というか。物語じゃなく、こんな風に「ひとりがたり」で消えてしまいそうだった。
◇ ◇ ◇
また同じようなものを唐突に書きはじめたけれど、これは自分のため。
「ひとりがたり」のためのひとりがたり。
きっとわたしは向き合う人が本当にほしいんだと思う。対がほしいのかな。
そしてまだ、ずっとひとりの丘を登り、歩くのだと思う。




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