境界線〜13〜

2008年01月08日 00:56

サリナムには人の言う「悪いこと」が自分と人とを隔てる人間の境界線のように見えてきました。
いま味わう冷たさは恐怖ではなく、自分が他者と違う温度を持ついきものである温かさの反証。

人間の、地上に生きるもののすべては、どこからどこまでがひとつで、
どこからがすべてと違う別なものなのでございましょう。
おしゃかさまの説かれた無明の海、すなわち煩悩の海というものは
生きものすべての命やカタチ、欲や心を飲み込んで、果ても無く目の前に広がっています。
ひとたびそれに気づけば、自らと他のものの生き血や心もちなどがただ術もなく、
そして価値も無さげに大鍋のなかで煮立って溶けてしまうだけの臓物のような恐ろしさを感じ、
仏の心を目指す行者とて安らかな心にいたることはございません。

古より「普通」という薄絹を心眼に掛けられたまま生まれた赤子は、
普通に育ち、当たり前のように善いことや悪いことの境目を見いだしては悟り、
善人の境界線の中で生きていくのでございます。
境い目を見極めることこそ悟り、と 無明の海を見ずして赤子は人としての一生を終わるのです。

今までサリナムには自分と人とを分け隔てる境い目が見えませんでした。
それはただの偶然かもしれません。
ひとの人生は誰しも偶然の集まりのようなもの。けれど自分がほかとどう違う命なのか、
なにを灯りにどこを足もとにしていいのかわからぬときは、どう歩めばよいのでしょう。
サリナムの人としての一生はふしあわせだったのでしょうか。
境い目を簡単に見極め、当たり前に生きたほかの者達の一生は、しあわせだったのでしょうか。

銀の糸は歌うような律動を伴って、サリナムをさらに上空へ持ち上げていきます。


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://bashfulness.blog85.fc2.com/tb.php/138-3f009160
    この記事へのトラックバック