2008年04月15日 04:24
わたしの血を継ぐものに「自分の身は自分で守りなさい」と戒めていくのだろう。
他人に対してより、もっと強く自分の血に近いものに心を込め教えるのだろう。
悲しみに出会わないために。
わたしはエゴイストだ。
他人と、血のつながりを持つ(他人と同様、わたしと違う肉体と精神を持つ)者とを、どんな一線を引いて分け違えるのか?……とかに思いをはせる。
たぶんそれは生存のために。
自分の血を受け継ぐものが命を永らえ、さらに次世代へと同じ血を受け継いでいくために。
このボンヤリとした思いはDNAに刷り込まれたものかもしれなくて。
(そうだ、遺伝子に組み込まれているんだ、これは生存のための本能なのだ)、と思い込みたい自分がいて。
万華鏡の中を覗くように自分が幾つも見える。それを見ているわたしを感じる。
dが仮に男性だった場合、その性的虐待の加害者は女性。母親のケースが最も多い。
女性が性的虐待の被害者として取り上げられることは多いが、加害者側として語られることは少ない。
性的な虐待というと、どうしても変質者をイメージしてしまいがちですが、実際にはそんなことはないのです。加害者で、もっとも多いのは、見ず知らずの他人ではなくて、子どもの身近にいる、一見普通に見える人たちなのです。肉親だったり、親戚だったり、近所の人だったり、学校の先生だったりするのです。そして、加害者のイメージとしては、どうしても男性の加害者を思い浮かべてしまがちですが、女性がそんなことをするはずがないと言う間違った思いこみが世間にあるために、女性による虐待が見過ごされていることが多いのではないかと思われます。それに、男性が女性から性的虐待を受けたとしても、それは虐待であるとは受け取られずに、逆に「いい思いをしたじゃないか」と羨ましそうに言われたりする風潮があります。しかし、もしこの場面で性が逆だったらどうなるでしょうか。たとえば、三人のオヤジたちが、幼い女の子の股間に指を入れながら、「将来、男を泣かせるようになるぞ」などと卑猥なことを言って笑っていたらどうなるでしょうか。これはつまり、大人の性的な興味のために、子どもの体が利用されたということなのです。
身近にある近親者からの性的侵入より
女性が加害者になり男性に被害を及ぼす。男性らが成長したのち、そのうちのdの項目にたまたま当てはまってしまう(環境によって育てられてしまう)人が女性を犯す。暴力をふるう。殺人を犯す。
一方、最初被害者であった男児に加害する女性は、その幼少時に同じように何らかの性的な侵害、或いは被害を被っている。
被害者が加害者になり、あらたに被害者を生む。
救いのない連鎖。それが(性的)虐待ともいえる。
被虐待児は願う、虐待の連鎖が止まることを。
連鎖を止める手立て――それは強く自分を自制すること。時には自分を肉体的・精神的に傷つけてでも制御しようとする。
また逆に制御しようとする反面、自身ではどうにもならない葛藤に悩み理解しがたい行動や言動を起こし、「揺り戻し」「フラッシュバック」に苦しんでいる。
自業自得を他人に名指し批判するものではないと主張しながら、自己に対し自業自得(自己責任)に強く縛られるのも被虐待児の特徴かもしれない。
また彼らの思春期においては精神的な受け皿の部分が成長しきれないので、心を凍らせ成長途上の自分と過去の自分を乖離させることで安定を保つこともある。
乖離中は過去の被虐待行為を考えると逆行動に思える――性依存・暴力・薬物依存に寄る快楽などにのめりこむ傾向も見られる。記憶の逸失もままみられる。
被虐待児は抜けられない泥の中でdに陥らないよう生きることを求められる。
dは誰にでも起こりうることだ。
強く願う。自分を守れと。
起こりうることは待ってくれない。
命に代えて守りたいものを抱きしめながら思う。
次の命へつないでください。と



コメント
阿檀 | URL | nzi/10PQ
最初からあのブログは
ロクでもな終章になるだろうと思っていたけど(なんせ書いているヒトがロクデナシだし)、うん、まあ、そんな感じでしたねぃ。すまんことです。
ただまあ本人的には、自分が今考えていることはだいたい書けたかな、と。よくもわるくも、いまの阿檀的限界かと思います。
なにもかもが「性」なのかどうかはよくわかりません。被害と加害、性は性にしか変換されないのか、性しか性に変換されないのか。そのあたりはデータももっていないし、よくわからんです。
でも、その確率はそれなりに高いのでしょうね。
ただ被害者が全員加害者になるわけじゃないし。。というのは、考えるところです。
とりとめなくてごめんなさい
( 2008年04月16日 02:24 [編集] )
きむろみ | URL | w5curNNk
客観的に性的虐待を語ろうとするのは
まだわたしには難しかったかな^_^;。
自分が縁って立つところを探したときに、今回「産むひと」の切り口からでしか書かざるをえなかったのは口惜しく思っています。
まあ、それ以外のキャラで語れといわれてもアタマの中のごちゃごちゃを言葉に出力できないんだから、わたし的にも限界、でしょうか(爆)
血やDNAのあたりは書きながらとても嫌な気持ちになりましたが、書ける自分がいる、よりどころにしている自分がいるのを発見できました。
>ただ被害者が全員加害者になるわけじゃないし。。というのは、考えるところです。
全員加害者になるわけじゃない、と思います。
ただ、わたしはねがてぃぶ人間+妄想の人なので、世の人は気がつかないうちに被害者になり加害者にもなってるのでは?なんて思います。
救いを求めるのならば自分を知ること、個をみつめることに帰還すると思います。そうでなければ、あっという間に感覚は麻痺して被害も加害も気づかなくなるだろう、と。それが性の文化と呼ばれ、許容されたフリして個人の痛みは黙殺されるのだろうと。
わたしもとりとめなくなりましたが。
>なにもかもが「性」なのかどうかはよくわかりません
わたしもわかりません。もっと時間を経れば同じ問題も違う見方ができるかもしれないし。そう期待してる自分もいるし。^^
考える場を与えていただいて感謝しています。
( 2008年04月16日 04:33 [編集] )
きむろみ | URL | -
ひとり反省会。
「産むもの」でなく「オンナ」でなく一人のヒトとして書いてみたかったな。
ヒトは性を含んでヒトなのか、性を含まずにヒトとしていられるのか、わたしはどんな種族にいるのだろう、とか。この種族はどこへと進化し、どんな道を歩くんだろう、とか。
自業自得論を越えて、はるか向こうを見てみたい。
まず自分のあしもと確かめてから。
( 2008年04月16日 19:21 [編集] )
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( 2008年04月17日 23:52 [編集] )
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